更に真面目な日記…

2001年9月12日
昼過ぎに起床。ずっとテレビの前にいた。NYの
テロのニュースが気に掛かり、また作家さんからの
台本の原稿を待っていたので、終日家で過ごした。
各局をザッピングしながら、このニュースについて
は、かなりの情報通になりましたよ。

閣下がHP上で「つい数日前までロケでNYに行っ
ていて、国際貿易センター前でも撮影したけど放送
出来るのか?」というような書き込みをしていた。
よかった…もう帰国されてたんだ。番組を創る立場
としては「放送出来るのか?」というのは、こうい
う状況でありながらも重要な問題であるのは理解
出来るなぁ。

大方の見解では宗教絡みが犯行動機らしいが、自分
の信仰心の為なら他者を傷つける、あるいは命をも
奪っていいという教えは本当に宗教だろうか?
一説によれば、死を迎えることで神の下に行けると
いう思想から自爆したんではないか?ということ
だけど、自ら死を選ぶことと寿命をまっとうした死
とは本質が違う気がする。自ら死を選んだ人間だけ
が幸せになれる宗教なんて意味ないでしょ。

笑われてもいいけど、私は聖飢魔?が唱える悪魔教
の信者で、世界に広がるような大規模な宗教じゃ
ないけど、世の中に蔓延る矛盾や不満を考えさせら
れることで、そんな中でいかに自分らしく生きてい
くか、どうやって自分の個性を守っていくかって
ことを教えてもらえて、信仰心はあついんだ。
だから、明日へ繋がる生き方を説くのが本来の宗教
だとずっと思ってきました。

信者が多くなればなるほど、その信仰心を別なもの
に利用したり、操られたりすることが多いと思う
ので、宗教家や信者は本来の教えをしっかりと守り
伝達していかなければ危ういなとつくづく思いまし
た。今までの歴史の中で宗教弾圧があったりした
のは、その信仰心や結束が固いことを危惧したから
であって、それだけの影響力があるものだからね。

別に特定の宗教団体を否定してるのではなく、今
1度考えて欲しくて書いてるので、気を悪くしたら
見解の相違ってことで謝りますけど…ごめん。



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