私とチェッカーズ?
2003年7月18日クイズ番組のADをやってた頃にその時が来た。
ある日、会社のボスがチェッカーズの事務所に
出演依頼の電話を掛けていた。なんだか和やか
な感じで好感触の御様子。ドキドキしながら
推移を見守っていると電話を切ったボスが私に
向かって「まにあくん、高杢が出てくれること
になったよ」と言った。なんだよ、モクかよ!
当時、同じ事務所だった高橋里奈さんとのペア
でゲストパネラーで出演することになったらし
い。
ボスは私がチェッカーズファンだと知っていた
ので喜ぶと思ってわざわざ言ってくれたんだと
思うけど、チェッカーズのメンバーなら誰でも
いいというわけではないのです。特にモクは私
の中では戦力外なので微妙な感じ。それでも
一緒に仕事が出来るっていうのが目標に一歩
近付いた気はしました。収録当日、なかなか
気さくな感じのモクでしたが、所詮ADの私なん
か口をきく機会もないまま終わりましたけど…
それから月日は流れて、ADの作業もしつつ簡単
なVTRの編集をやらせてもらってたトーク番組に
またもやモクがゲスト出演することになって
私物のチェッカーズグッズを盛り込んだVTRを
作ったりしたなぁ…完全に自己満足の世界だっ
たかも!?その時はCDのプロモーションを兼ねて
出てくれたので、宣伝に使ったパネルは今でも
ウチにございます。これぞ公私混同!こんな
仕事の仕方でよくやってこれたよ。
結局チェッカーズは92年に解散してしまうん
だけど、解散するまでモク以外のメンバーと
仕事をすることはなかった。解散ライブも尚の
誕生日である12月27日は獲ってもらえたけど、
ラストの28日は事務所に頼んでも獲れなくて、
武道館の駐車場で漏れてくる音を聞いて解散を
迎えてしまって、何もかもが中途半端なまま
チェッカーズというバンドとの別離となったのでした。
解散からどれ位の日々が流れたでしょうか、噂
で尚がロンドンに渡ったことを知りました。
そんな頃、会社のデスクにいるとボスから内線
電話で「まにあくん、お客さんにお茶を2つ
持ってきて!」と言われ、お茶を持ってボスの
部屋に行くと、そこにいたのがモクでした。
ヒゲもなく、すっかり肥えた姿に最初はモク
だとは思わなかったけど、ボスがお茶を出す私
を見てニヤニヤしていたので「もしや?」と
思いマジマジと見ると、紛れもなくモクだった
のです。解散後に初めて見るのもモクかよ!
全くもって私のニーズから遠ざかる一方の流れ
でございました。私の担当外の番組でリポー
ターみたいな感じで出てもらってたかな。モク
の今みたいな仕事の仕方の出発点でもあったの
かも。
で、会社の方針が変わって自社制作より派遣に
力を入れ出した頃があって、たまたま出入り
してたTKさんの紹介で「子供番組をやらないか
?」という話が社長からあって「ADの作業も
やりつつのDも出来る人っていう要請なんだ」
という話を信用して引き受けることにしたの
でした。社員数名で局に派遣されたことはあっ
ても、一人だけ局内の制作会社に派遣される
ことはなかったので不安はあったけど、会社
自体が嫌いになりかけてた時期だったので環境
を変えたかったっていうのもあったんだと思う
な。
しかし現場での扱いは最悪だった。入社1年目位
のADさんに使われる身なのよ。こっちはDの仕事
も出来るっちゅうねん!それでも社長の言葉を
信じて数日はおとなしく仕事をしていたけど
どうもおかしい。完全にADの扱いなんだけど。
おやっ、社長に騙された?この仕事を紹介して
くれたTKさんに確認すると「ADクラスの人を
探してたんだけど…」という話で軽くキレた私
は社長に電話をし「辞めたいんですけど」と
直談判。1週間でその番組から降りた。そのこと
がきっかけで会社も辞めた。そしてフリーに
なった。完璧なDになってたわけでもないのに
若さ故の暴走だったのかな。
後になって、この番組の降板は尚との運命を
狂わすことになっていたのです。今でも悔やん
でも悔やみ切れない思いで一杯。構成に秋元康
さんが入ってたのに何故気付かなかったんだろ
う?司会がヒロミさんだったのに何故気付かな
かったんだろう?その制作会社は藤井兄弟の
映像関係を一手に引き受けている、藤井兄弟
とは非常に密な会社だったのです。その時は
表面化してなかったんでわからなかったけど
繋がってたんだよね〜。あのまま我慢して仕事
して取り入ってれば、どう転がってたかわから
ないわけで、若さが違った意味でも暴走してた
んだな。今の私なら平気でADの仕事したけど
ね…って、今の方がプライドなしかいっ!
まあフリーになったから逆に仕事に執着すると
いうか、無理しても頑張ろう的な気持ちで成長
は出来たと思う。ただ生き方は不器用だけど
仕事は器用なんで最終的にはモノになってしま
うのです。そのまま穏やかにしてればいいのに
調子に乗りやすい私は上の立場の人と折り合い
が悪くなってしまい、結局は自主降板を余儀
なくされるというのの繰り返し人生ですわ。
所詮はダメ人間…
そんなダメ人間を救ったのも尚でした。ロン
ドンから帰国した尚は日本での活動を始めまし
た。まずは95年に開催されたファンの集いです
よ。F.C.会員のみだったので、澄ちゃんから
高校の同級生のちゃこちゃんにチェッカーズ
仲間が変わってましたが、ちゃこちゃんは兄
ファンですので私一人の参加になりました。
場所は今はなきパワステ。解散後の初尚でした
ので純粋にドキはムネムネ状態でした。地味に
質問コーナーとかトークショーみたいなのが
あって、最後は握手会です。尚の至近距離に身
を置くのは何年振りでしょうか。長い長い月日
が過ぎたものですね。どんなに環境が変わって
も好きでよかったって思いましたよ。
夢にまでみた尚のぬくもりにポヤ〜ンてしちゃ
った。集合写真を撮る順番が最後の組だった
ので、他の組が撮るのを食い入るように見つめ
最後の最後まで尚と同じ会場に入れたわけで
そんなことさえも嬉しかった純粋なファンだっ
たんだよな〜。チェッカーズというバンドの
一メンバーから、藤井尚之という一人のミュー
ジシャンのファンになった瞬間だった。それ
から兄のライブには時々行ってたけど、基本的
には尚一本で、他のチェッカーズのメンバーに
逢うことはなかった。
01年の尚のライブにリーダーのトオル氏がゲス
ト出演して、解散以来初めてその姿を観た。
02年末の兄ライブにベースの裕ちゃんがゲスト
出演して、解散以来初めてその姿を観た。そし
て今年の兄のキャロルカバーライブで、再び
裕ちゃんの姿を観た。歳月は物凄く過ぎている
のに、なんだかチェッカーズの息吹を感じる
のは何故!?
まあ今年はチェッカーズのデビューから20周年
なんだよね。そんな中でモク本が出版されたっ
つうのもあるんだけど、もっとビッグな知らせ
があったのです。デビュー20周年の9月21日に
チェッカーズの演奏班(通称アブラーズ)の
ライブが行われるのです!当日は兄はツアーの
福岡公演らしい。普通、福岡でのライブって
特別な感じがあって地方からも大挙ファンが
押し寄せているとのこと。そんな日にアブラー
ズですよ。ガチンコ勝負か!?
で、これがキャパが2,000らしいのよね。どう
してくれよう。こんなに思い入れのある私が
参加しないわけがないよ。果たしてチケット
入手なるのか!?アワアワ状態でいるのは言う
までもない。は〜…私のチェッカーズ人生が
再び始まろうとしているのであった。
ある日、会社のボスがチェッカーズの事務所に
出演依頼の電話を掛けていた。なんだか和やか
な感じで好感触の御様子。ドキドキしながら
推移を見守っていると電話を切ったボスが私に
向かって「まにあくん、高杢が出てくれること
になったよ」と言った。なんだよ、モクかよ!
当時、同じ事務所だった高橋里奈さんとのペア
でゲストパネラーで出演することになったらし
い。
ボスは私がチェッカーズファンだと知っていた
ので喜ぶと思ってわざわざ言ってくれたんだと
思うけど、チェッカーズのメンバーなら誰でも
いいというわけではないのです。特にモクは私
の中では戦力外なので微妙な感じ。それでも
一緒に仕事が出来るっていうのが目標に一歩
近付いた気はしました。収録当日、なかなか
気さくな感じのモクでしたが、所詮ADの私なん
か口をきく機会もないまま終わりましたけど…
それから月日は流れて、ADの作業もしつつ簡単
なVTRの編集をやらせてもらってたトーク番組に
またもやモクがゲスト出演することになって
私物のチェッカーズグッズを盛り込んだVTRを
作ったりしたなぁ…完全に自己満足の世界だっ
たかも!?その時はCDのプロモーションを兼ねて
出てくれたので、宣伝に使ったパネルは今でも
ウチにございます。これぞ公私混同!こんな
仕事の仕方でよくやってこれたよ。
結局チェッカーズは92年に解散してしまうん
だけど、解散するまでモク以外のメンバーと
仕事をすることはなかった。解散ライブも尚の
誕生日である12月27日は獲ってもらえたけど、
ラストの28日は事務所に頼んでも獲れなくて、
武道館の駐車場で漏れてくる音を聞いて解散を
迎えてしまって、何もかもが中途半端なまま
チェッカーズというバンドとの別離となったのでした。
解散からどれ位の日々が流れたでしょうか、噂
で尚がロンドンに渡ったことを知りました。
そんな頃、会社のデスクにいるとボスから内線
電話で「まにあくん、お客さんにお茶を2つ
持ってきて!」と言われ、お茶を持ってボスの
部屋に行くと、そこにいたのがモクでした。
ヒゲもなく、すっかり肥えた姿に最初はモク
だとは思わなかったけど、ボスがお茶を出す私
を見てニヤニヤしていたので「もしや?」と
思いマジマジと見ると、紛れもなくモクだった
のです。解散後に初めて見るのもモクかよ!
全くもって私のニーズから遠ざかる一方の流れ
でございました。私の担当外の番組でリポー
ターみたいな感じで出てもらってたかな。モク
の今みたいな仕事の仕方の出発点でもあったの
かも。
で、会社の方針が変わって自社制作より派遣に
力を入れ出した頃があって、たまたま出入り
してたTKさんの紹介で「子供番組をやらないか
?」という話が社長からあって「ADの作業も
やりつつのDも出来る人っていう要請なんだ」
という話を信用して引き受けることにしたの
でした。社員数名で局に派遣されたことはあっ
ても、一人だけ局内の制作会社に派遣される
ことはなかったので不安はあったけど、会社
自体が嫌いになりかけてた時期だったので環境
を変えたかったっていうのもあったんだと思う
な。
しかし現場での扱いは最悪だった。入社1年目位
のADさんに使われる身なのよ。こっちはDの仕事
も出来るっちゅうねん!それでも社長の言葉を
信じて数日はおとなしく仕事をしていたけど
どうもおかしい。完全にADの扱いなんだけど。
おやっ、社長に騙された?この仕事を紹介して
くれたTKさんに確認すると「ADクラスの人を
探してたんだけど…」という話で軽くキレた私
は社長に電話をし「辞めたいんですけど」と
直談判。1週間でその番組から降りた。そのこと
がきっかけで会社も辞めた。そしてフリーに
なった。完璧なDになってたわけでもないのに
若さ故の暴走だったのかな。
後になって、この番組の降板は尚との運命を
狂わすことになっていたのです。今でも悔やん
でも悔やみ切れない思いで一杯。構成に秋元康
さんが入ってたのに何故気付かなかったんだろ
う?司会がヒロミさんだったのに何故気付かな
かったんだろう?その制作会社は藤井兄弟の
映像関係を一手に引き受けている、藤井兄弟
とは非常に密な会社だったのです。その時は
表面化してなかったんでわからなかったけど
繋がってたんだよね〜。あのまま我慢して仕事
して取り入ってれば、どう転がってたかわから
ないわけで、若さが違った意味でも暴走してた
んだな。今の私なら平気でADの仕事したけど
ね…って、今の方がプライドなしかいっ!
まあフリーになったから逆に仕事に執着すると
いうか、無理しても頑張ろう的な気持ちで成長
は出来たと思う。ただ生き方は不器用だけど
仕事は器用なんで最終的にはモノになってしま
うのです。そのまま穏やかにしてればいいのに
調子に乗りやすい私は上の立場の人と折り合い
が悪くなってしまい、結局は自主降板を余儀
なくされるというのの繰り返し人生ですわ。
所詮はダメ人間…
そんなダメ人間を救ったのも尚でした。ロン
ドンから帰国した尚は日本での活動を始めまし
た。まずは95年に開催されたファンの集いです
よ。F.C.会員のみだったので、澄ちゃんから
高校の同級生のちゃこちゃんにチェッカーズ
仲間が変わってましたが、ちゃこちゃんは兄
ファンですので私一人の参加になりました。
場所は今はなきパワステ。解散後の初尚でした
ので純粋にドキはムネムネ状態でした。地味に
質問コーナーとかトークショーみたいなのが
あって、最後は握手会です。尚の至近距離に身
を置くのは何年振りでしょうか。長い長い月日
が過ぎたものですね。どんなに環境が変わって
も好きでよかったって思いましたよ。
夢にまでみた尚のぬくもりにポヤ〜ンてしちゃ
った。集合写真を撮る順番が最後の組だった
ので、他の組が撮るのを食い入るように見つめ
最後の最後まで尚と同じ会場に入れたわけで
そんなことさえも嬉しかった純粋なファンだっ
たんだよな〜。チェッカーズというバンドの
一メンバーから、藤井尚之という一人のミュー
ジシャンのファンになった瞬間だった。それ
から兄のライブには時々行ってたけど、基本的
には尚一本で、他のチェッカーズのメンバーに
逢うことはなかった。
01年の尚のライブにリーダーのトオル氏がゲス
ト出演して、解散以来初めてその姿を観た。
02年末の兄ライブにベースの裕ちゃんがゲスト
出演して、解散以来初めてその姿を観た。そし
て今年の兄のキャロルカバーライブで、再び
裕ちゃんの姿を観た。歳月は物凄く過ぎている
のに、なんだかチェッカーズの息吹を感じる
のは何故!?
まあ今年はチェッカーズのデビューから20周年
なんだよね。そんな中でモク本が出版されたっ
つうのもあるんだけど、もっとビッグな知らせ
があったのです。デビュー20周年の9月21日に
チェッカーズの演奏班(通称アブラーズ)の
ライブが行われるのです!当日は兄はツアーの
福岡公演らしい。普通、福岡でのライブって
特別な感じがあって地方からも大挙ファンが
押し寄せているとのこと。そんな日にアブラー
ズですよ。ガチンコ勝負か!?
で、これがキャパが2,000らしいのよね。どう
してくれよう。こんなに思い入れのある私が
参加しないわけがないよ。果たしてチケット
入手なるのか!?アワアワ状態でいるのは言う
までもない。は〜…私のチェッカーズ人生が
再び始まろうとしているのであった。
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