改めてサニーを考えた。
2004年9月5日 音楽昨晩、飲酒しながら『アブラーズの心』のDVDを見てみた。前回
見てみようと試みた時は、どんどん興奮してきてガンガン酒の
ピッチが早くなって気付けば朝になっていてどこまで見たのか
記憶がなかった。とにかく物凄く楽しい気分になっていたのは
確かだった。
でも今回は見始めた時に興奮というよりはキュンとなるせつない
ものがあった。それはクロベエ…サニーが実に活き活きとドラム
を叩いてたからだ。思い返せば、このデビューライブの時には
既に闘病を始めていたわけで、全ての事実を知った今見ていると
サニー推しの映像で編集されてるなという印象を持った。映像に
微力ながら携わった人間として、たぶんアブラーズに関わった
スタッフ全員がサニーの全快を信じて進んできたんだろうなって
いうのが映像から読み取れた。編集でどの画をチョイスするかっ
て時にどうしても思い入れのある画を柱にして繋ぐからね…ライ
ブを客観的に観る立場のビデオ班がこんなにもサニー推しで繋ぐ
からには強い想いがあったに違いないと実感しましたよ。
で、唐突だけどロシアの学校占拠事件で300人からの人が死んだ
とか、自宅で刺されて小学生の女の子が死んだとか、帰宅した
子供が刺されて死んでいる母親を発見したとかっていう報道を
見たりしてると「死」ってことに麻痺してる気がしてきた。死ん
だ人それぞれに強い想いを持ってる人がいて、哀しむ人がいる
わけだけど、そこまでの想像力が追いつかないまま殺戮・殺人が
行われているんだよね。
最近、閣下の活動で怪談話に触れる機会が多いんだけど、怪談話
って死者がこの世に未練を持って…っていうのが多いのね。でも
それって残された人が「この世でまた逢いたい」って気持ちが
強いからそういう作風になるような気がする。でも死んだ人は
別世界に進んで全く新しい人生を送ってるって思うのよね。死者
に固執するのはこの世に生きてる人だけであって、この世に生き
ていく上でいかに死者敬うか、大切に想うかっていう気持ちを
持つことで自分を納得させているだけのように思うの。どんなに
大切で大事な人が死んでしまっても自分はまだ生きていかなきゃ
いけないわけで、その為には「心を込めてちゃんと送ってあげた
んだから」っていう布石が欲しいからお葬式とかってシステムが
あるんじゃないかなと思う。
「志半ばで…」とかって言うけど、それは残された者がこの世で
成したいことだろうなって想像して言うことで、実はあの世で
ウハウハ人生を送ることになってるかも知れないと思いたいの。
もっと科学が発達して、あの世でウハウハ生活をしてるのをこの
世の人達に伝えられるようになったら死も哀しくなくなるのに
な…
で、いろいろファン同士で物議がある『徳永善也を送る会』なん
だけど、サニーに対しての自分の気持ちを確かめる機会だと思う
んだ。サニーはもう違う世界で楽しく過ごしているはずだから
この世でまだ生きていく自分がサニーの死をどう納得させていく
のかがテーマになってくると思う。実感がないのは麻痺してる
だけかも知れないから、ちゃんと区切りをつけないとちゃんと
したオトナになれない気がするから真面目に送る会に参列しよう
と思いました。
そして続きのDVDはそんなせつない気持ちを払拭するように泥酔
してどこまで見たかもわからないまま朝を向かえましたとさ。
見てみようと試みた時は、どんどん興奮してきてガンガン酒の
ピッチが早くなって気付けば朝になっていてどこまで見たのか
記憶がなかった。とにかく物凄く楽しい気分になっていたのは
確かだった。
でも今回は見始めた時に興奮というよりはキュンとなるせつない
ものがあった。それはクロベエ…サニーが実に活き活きとドラム
を叩いてたからだ。思い返せば、このデビューライブの時には
既に闘病を始めていたわけで、全ての事実を知った今見ていると
サニー推しの映像で編集されてるなという印象を持った。映像に
微力ながら携わった人間として、たぶんアブラーズに関わった
スタッフ全員がサニーの全快を信じて進んできたんだろうなって
いうのが映像から読み取れた。編集でどの画をチョイスするかっ
て時にどうしても思い入れのある画を柱にして繋ぐからね…ライ
ブを客観的に観る立場のビデオ班がこんなにもサニー推しで繋ぐ
からには強い想いがあったに違いないと実感しましたよ。
で、唐突だけどロシアの学校占拠事件で300人からの人が死んだ
とか、自宅で刺されて小学生の女の子が死んだとか、帰宅した
子供が刺されて死んでいる母親を発見したとかっていう報道を
見たりしてると「死」ってことに麻痺してる気がしてきた。死ん
だ人それぞれに強い想いを持ってる人がいて、哀しむ人がいる
わけだけど、そこまでの想像力が追いつかないまま殺戮・殺人が
行われているんだよね。
最近、閣下の活動で怪談話に触れる機会が多いんだけど、怪談話
って死者がこの世に未練を持って…っていうのが多いのね。でも
それって残された人が「この世でまた逢いたい」って気持ちが
強いからそういう作風になるような気がする。でも死んだ人は
別世界に進んで全く新しい人生を送ってるって思うのよね。死者
に固執するのはこの世に生きてる人だけであって、この世に生き
ていく上でいかに死者敬うか、大切に想うかっていう気持ちを
持つことで自分を納得させているだけのように思うの。どんなに
大切で大事な人が死んでしまっても自分はまだ生きていかなきゃ
いけないわけで、その為には「心を込めてちゃんと送ってあげた
んだから」っていう布石が欲しいからお葬式とかってシステムが
あるんじゃないかなと思う。
「志半ばで…」とかって言うけど、それは残された者がこの世で
成したいことだろうなって想像して言うことで、実はあの世で
ウハウハ人生を送ることになってるかも知れないと思いたいの。
もっと科学が発達して、あの世でウハウハ生活をしてるのをこの
世の人達に伝えられるようになったら死も哀しくなくなるのに
な…
で、いろいろファン同士で物議がある『徳永善也を送る会』なん
だけど、サニーに対しての自分の気持ちを確かめる機会だと思う
んだ。サニーはもう違う世界で楽しく過ごしているはずだから
この世でまだ生きていく自分がサニーの死をどう納得させていく
のかがテーマになってくると思う。実感がないのは麻痺してる
だけかも知れないから、ちゃんと区切りをつけないとちゃんと
したオトナになれない気がするから真面目に送る会に参列しよう
と思いました。
そして続きのDVDはそんなせつない気持ちを払拭するように泥酔
してどこまで見たかもわからないまま朝を向かえましたとさ。
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